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東山文化の象徴、慈照寺銀閣。鹿苑寺金閣の煌びやかな美しさと比較して、その落ち着いた佇まい、枯淡の美が、いわゆる渋好みの人々に愛されてきた建物だと思います。
しかし、この530年前につくられた建物も、創建当時は今とはずいぶんと違った姿だったのですね。
それは2007年から2010年にかけておこなわれた調査、修理事業によって判明したようですが、今回その当時の復元模型がつくられ、慈照寺に寄贈されたのだそうです。
模型は建物の一部、2階の外壁と軒廻りの部分で、建物と同じ原寸大で製作されています。画像は、今の銀閣の写真に復元模型の写真を載せてみたものですが、おわかりになりますでしょうか?
2階の「花頭窓」と言われる窓の部分、そしてその上の軒を支えている部材のあたりですが、驚くほどカラフルですね!
調査の結果、2階の外壁と内部には黒漆が塗られてツヤツヤとしていたことがわかったそうです。また、軒廻りには亀甲紋や条帯紋などと呼ばれる文様、花の文様などが、赤、青、緑といった顔料を使って極彩色に塗られていたのだとか。いやあ、創建時は全然「枯淡の美」ではなかったのですね。驚きました。
さらに、下層部分の間取りも、昔は今とは違っていたことも判明したそうです。これもまた大きな発見です。
銀閣は、室町幕府の8代将軍・足利義政がつくったもので、用途は、彼の別荘です。義政公がどんな建物をつくろうとしたのか、その全貌はまだわかりませんが、私が思うに、義満公の金閣を意識しなかったはずはないでしょう。
あの金色、それとは違った美しさを求めて義政公が選んだのが、黒い漆と極彩色の文様だったのですね。その部分だけ見れば派手ですが、面積比から言えば黒漆や屋根の桧皮葺などのほうが大きく、おそらくあまりどぎついものではなかったのではないか、割に落ち着いた美しさを誇ったものだったのではないか、と想像します。
今見る「枯淡の美」ではないにしても、当時の最先端であり、今までにない価値を創造した建物であったことは間違いなさそうですね。そんなことが徐々に明らかになり、当時の意匠とその文化的な位置づけが判明してくる。それはとても素晴らしいことだと思いますし、歴史のロマンを感じますね。
義政公が遺してくれた素晴らしい宝。次に銀閣を訪れる時は、その在りし日の姿を想像しつつ、じっくりと眺めることにしたいと思います。





